観光写真集

個人観光タクシーで行く、熊本、阿蘇、高千穂、黒川温泉、湯布院、九州観光

よか旅グループ
(C)2010熊本県くまモン#4219

阿蘇外輪山の大観峰から飛び立つパラグライダー

熊本市内

  • 熊本城

    加藤清正が1601年から7年余りで築城
    城郭は周囲9Km(築城当時)、広さ約98万平方メートルで、その中に天守3、櫓49、櫓門18、城門29を持つ豪壮雄大な構えです。
    なかでも「武者返し」と呼ばれる美しい曲線を描く石垣は有名です。
    加藤家2代(44年)、細川家11代(239年)の居城
    54万石
    日本3大名城
    今年は、築城400年、本丸御殿が、再建された。

  • 水前寺公園

    寛永9年(1632年)肥後の領主となった細川忠利が築造を開始し、綱利のときに桃山式庭園が完成した。東海道五十三次を模した造り。
    池は、阿蘇山からの湧水が美しい。

  • 細川刑部邸

    細川忠利公の弟、刑部少輔興孝公が正保三年(1646)に二万五千石を与えられて興した武家屋敷。

  • 夏目漱石

    夏目漱石内坪井旧居. 漱石は熊本に滞在した4年3ヶ月の間、6回も転居している。
    ここは5番目の家で、長女筆子が生まれ、その産湯に使った井戸や、寺田寅彦が書生になるために泊めてくれといった馬丁小屋などが残っている。

  • 小泉八雲

    明治24年(1891)11月、熊本大学の前身である第五高等中学校(明治27年)の英語教師として、島根の松江中学校から赴任、明治27年(1894)10月までの3年間を、熊本で暮らしました。
    ラフカディオ・ハーン(ヘルンとも)日本名 小泉八雲は、日本女性妻セツを持ち、長男も熊本で誕生している。

  • 徳富蘇峰,蘆花

    徳富記念園は明治3年から徳富蘇峰。
    蘆花兄弟が幼少年時代をすごした徳富旧邸。
    徳富兄弟の父一敬(淇水)は維新の後に熊本藩庁勤務となり明治3年に水俣から一家を引き連れてここに住んだ。

  • 横井小楠記念館

    横井小楠の私塾、『四時軒』は、『横井小楠記念館』に付属建築物という形で保存されている。
    横井小楠は、幕末の政治家・思想家で、文化6年(1809)8月13日に、肥後藩士横井時直の次男として、内坪井に生まれ名は「時存(ときあり)」、号を「小楠」、「沼山(しょうざん)」、通称「平四郎」という。

  • 霊巌洞

    雲巌禅寺の境内にある洞窟を霊巌洞【れいがんどう】と言い、宮本武蔵がこの洞窟にこもって兵法の極意書である「五輪書」を著した場所

  • 西の武蔵塚

    ここは武蔵の高弟・寺尾家の墓域で、武蔵は死の直前に寺尾兄弟の兄孫之丞に『五輪書』を、弟の求馬助に『兵法三十五箇条』を授けて二天一流の正統を伝えたという。

  • 峠の茶屋

    夏目漱石の小説「草枕」で「おい、と呼んだが、返事がない」と書かれた金峰山の峠の茶屋。
    藁葺きの建物、周辺は公園として整備され、名物だご汁などの食事ができる。

  • 武蔵塚

    62歳熊本城にて死去
    宮本武蔵は、恩を受けた細川藩主が江戸参勤交代で通るのを草葉のかげで拝したいという武蔵の生前の希望でここに埋葬された。

  • 立田自然公園

    ここには細川家初代藤孝夫妻と二代忠興夫妻の墓「四つ御廟」をはじめ、第十代斉茲以下の藩主の墓があり、園内には杉木立に囲まれた「苔園」と茶室「仰松軒」があります。
    二代忠興夫人 ガラシャの墓があります。

  • ガラシャ夫人の墓(立田自然公園)

    細川忠興夫人 ガラシャの墓
    御愛用の手洗い鉢左下

 

熊本県阿蘇

  • 阿蘇山(中岳火口)

    活火山 世界最大級のカルデラ、阿蘇。
    中岳火口は、湯溜りがあり、黄緑色に身える。
    火口周囲 4キロメートル。

  • 草千里

    烏帽子岳の、手前に火口跡に草原。
    春の春りんどうや、たくさんの野花が咲きはじめる。

  • 白川水源

    阿蘇を代表する湧水「白川水源」。
    毎分60トンもの水が湧き出ているこの湧水は、一級河川「白川」となって熊本を通り有明海へと注いでいる。
    水温は冬は暖かく夏は冷たい年中14度前後を保っており「日本の名水百選」に選ばれている。

  • 阿蘇神社

    阿蘇開拓の祖神と伝えられる健磐龍命をはじめとして十二神をまつる神社。
    古くから農業の神としてあつく尊崇されています。
    楼門は、江戸末期に建てられたもので、全体の造形美に加えて屋根下部の細かい彫刻もすばらしく、日本三大楼門のひとつとされる。

  • 大観峰

    海抜936メートル、外輪山の北に位置しており、ここからは、阿蘇五岳の眺めが特によい。
    秋は、雲海もすばらしい。

  • 池山水源

    環境庁の名水百選にも選ばれた池山水源は、恒温13.5℃、毎分30トンという豊富な湧水を誇っている。

  • 黒川温泉

    南小国町の田の原川沿いに旅館、お土産屋、食事処がある人気の温泉。
    色々な露天風呂が特徴でお楽しみ満載

  • 瀬の本高原

    秋の草原風景。
    毎年3月ごろ野焼きが行われる。

  • 押戸石(おしとのいし)の丘

    阿蘇南小国中原地区に巨石群があります。
    古代のストーン、サークルか?
    鬼か巨人がお手玉をして遊んだとのこと

  • 押戸石 の丘より草原風景

    阿蘇の草原を是非見に来てください。

 

熊本県天草

  • 三角西港

    三角西港は明治三大築港の一つ。
    明治17年5月(1884年5月)から20年6月の3年の月日を費やし完成した。
    明治政府から派遣されたオランダ人水理工師ムルドルの設計によって築港された。

  • 天草四郎時貞

    本名を益田四郎時貞、元和7年(1621)江部村(現在の宇土市旭町江部)に生まれる。
    父益田甚兵衛はキリシタン大名小西行長の元家臣。
    島原・天草で起きた「島原・天草一揆」、その総大将。

  • 有明海の御輿海岸

    宇土市長浜から網田にかけて「御輿来(おこしき)海岸」と呼ばれる海岸が続く。
    8世紀前半の景行天皇が九州巡幸で御輿を止めたのが地名の由来とされている。

  • 天草五橋(五号橋)

    別名パールライン、真珠養殖地、良質なパール。
    5つの橋で天草地方が、結ばれている。

  • 下田温泉

    今から800年ほど前、一羽の傷ついた白鷺が傷を癒しているところへ行ってみると、そこに温泉が湧き出していたという昔話から、別名「白鷺温泉」ともいわれている。

  • 天草殉教公園千人塚

    天草島原の乱は、キリシタンの激しい弾圧に加え打続く飢饉と容赦なく取りたてられる重税に苦しんだ農民のぎりぎりの抵抗であった。
    寛永14年(1637)天草四郎時貞を盟主に戦う、戦いは町山口川を血に染め両軍の屍は山をなした。
    里人は千人塚を建ててこれを手厚く葬った。

  • 鬼海ヶ浦

    ヤブツバキが自生し、2月下から3月上旬開花。
    夕日が水平線に沈む風景は、まさしく絶景!

  • 妙見ケ浦

    国指定の名勝・天然記念物で、奇岩、洞門が連なっている。

  • 天草大江天主堂

    ロマネスク様式の堂が美しい天主堂です。
    この天主堂は昭和8年ルドビコ・ガルニエ神父が私財をなげうって建てたもので、神父は一生をここで過ごした。
    堂の横に、銅像、お墓がある。

  • 天草崎津天主導

    天主堂の設計は、大江天主堂と同じ、鉄川与助てつかわよすけ)氏 教会堂建築に主に見られるゴシック風で,,
    昭和9年(1934)に建造されている。

    崎津天主堂を改築したのはフランス人のハルブ神父
    ハルプ神父は昭和3年(1928)12月に司祭として着任して以来、布教と教会の建立に献身し、昭和20年(1945)1月、81歳で永眠した。
    ハルプ神父のお墓は、崎津天主堂の観光駐車場脇に建てられいる。

  • 寿芳窯(高浜焼)

    白く、薄く、透明な焼き方。
    素晴らしいの一言。

 

熊本県山鹿 矢部 人吉

  • 山鹿市の八千代座

    <国指定重要文化財>
    八千代座は、明治43年に建築の江戸時代の伝統的な芝居小屋の様式を今に伝える芝居小屋です。
    山鹿の商工会が劇場組合を作り、1株30円の株を募って建てたもの。

  • 通潤橋

    嘉永5(1852)~嘉永7年(1854)

    通潤橋は、時の惣庄屋「布田保之助」(1801~1873)が、建設工事は、肥後の石工、卯助、宇市、丈八水道管が、3本通る。

  • すっぽん

    八千代座の舞台下の装置
    人を乗せて4人で舞台の上に押し上げる。

  • 人吉駅前 からくり時計

    人吉城をイメイジしたからくり時計。
    お城のお殿様が城下見物を行うという物語が民謡”球磨の六調子”の音楽にのせて展開する。

  • 日本三急流 球磨川くだり

    日本三急流の一つ球磨川。
    清流コース、急流コースがある。
    急流コースは、奇岩、怪石を見ながら四十八瀬を下る。
    ☆所要時間は急流コース、清流コースいずれも約90分。
    ☆赤色の時間は10名以上おそろいになると運航いたします。(こたつ舟は8名以上) ☆貸切船は8時~16時(冬季15時)までお客様のご希望の時間に予約受け付けます。(満船の場合を除く)

  • 青井阿蘇神社(国宝)

    創建大同元年(806)人吉球磨地方の総鎮守で最大の神社
    国の重要文化財
    御祭神 健磐龍命(たけいわたつのみこと)、阿蘇津媛命(あそつひめのみこと)、お二人の子供の國造速甕玉命(くにのみやつこはやみかたまのみこと)

  • 人吉城跡(繊月城)

    人吉城は、もと平頼盛の代官矢瀬主馬助の山城だったが、建久9年(1198)相良長頼が矢瀬氏を滅して城主となった。
    以来、明治維新による廃藩置県まで700年、相良氏が歴代にわたって居城した。「繊月城」という別名をもつ。

  • 永国寺(ゆうれい寺)

    幽霊寺として有名な永国寺、室町時代初期の応永15年(1408)に実底和尚による開山、今から約600年前の創立。
    また、この寺は、田原坂(熊本県)で敗れて人吉に入った西郷隆盛が薩軍本営に定めた寺としても知られている。
    夜な夜な境内の池に現れる幽霊を描いたもので、これを幽霊に見せるとあまりの自分の醜さに驚き、以後現れなくなったと伝えられている。

  • 相良藩”武家屋敷”

    この武家屋敷の正面に建つ門は堀合門(ほりあいもん)といい、人吉城が廃藩置県で取り壊される際に新宮簡(しんぐうたけま)氏が当時の藩主、相良頼基公から拝領したもので、現在人吉市の重要文化財に指定されている。

  • 人吉温泉

    人吉温泉の各温泉場は、球磨川沿いに点在し、公衆浴場が多い
    泉質は弱アルカリ炭酸水素塩泉で、神経痛、筋肉痛、関節痛に効くとされる。

 

大分県竹田 九重 久住 やまなみ 由布院 別府耶馬溪 国東

  • やまなみハイウェイ

    雪景色

    別府と阿蘇を結ぶ九州横断道路、通称「やまなみハイウェイ」は国道210号の水分峠から、熊本・一の宮に至る全長50kmの道路です

  • ラムネ温泉(大分長湯温泉)

    長湯温泉群は、久住連山の山麓である。
    利用泉源は28未使用泉源は3、合計31の泉源を持っている湧出量は豊富で、毎分2.5トン余りである。
    湧出形態は、自然湧出泉もあるが、利用泉源はすべて掘削泉で、その深度は45m~300mの範囲で、温泉水はすべて自噴している。
    泉温は平均値44.7度で、近年の掘削泉は50度前後のものもある。
    泉質は重炭酸イオンとアルカリ土類金属(カルシウム、マグネシウム)を多量に含んでいるので、「重炭酸土類泉」とされている、日本一の含炭酸泉として紹介されている。
    鉄分も多量に含有しているので,「含炭酸・鉄・重炭酸土類泉」となる。このように炭酸泉・鉄泉および重炭酸土類泉の三つの泉質を同時に兼ね備えた温泉は、温泉療養の上で、大変貴重である

    療養効果は、心臓弁膜症、心筋障害、高血圧、慢性消化器疾患、神経症およびリウマチ性疾患などがある。

  • 久住花公園

    くじゅう花公園は、阿蘇くじゅう国立公園内、標高850mの久住高原。
    目前に久住山、遠くに阿蘇五岳を眺望できる絶好のロケーションの中、面積が20万㎡の園内には春から秋を通じて約500種類、300万本もの花々が咲き誇ります。

  • 九重”夢大吊橋”

    長さ390m、高さ173m、幅1.5mの日本一の人道大吊橋。
    橋の上からは、「日本の滝百選」に選ばれた震動の滝をはじめ、九酔渓、鳴子川渓谷の雄大な景色が満喫できます。
    橋の幅員は1.5メートルで車椅子同士も離合可能です。
    【営業時間】
    9:00~16:00(受付は15:30まで)
    ※季節によって変わります。
    【入場料金】(往復料金)
    中学生以上500円・小学生200円・小学生未満無料
    ※基本的には往復して頂きますが、戻って来られない方にシャトルバスを用意しております。(有料)
    大人200円・小人100円

  • 小田、山下の池

    周囲4キロの人造湖で、やまなみハイウェイ沿いにあり、ここにはもともと小さな池があった。
    発電用のダム。
    温泉が 湧き、九重レークサイトホテル九重カントリークラブがある。北側に隣接す る小田ノ池は天然の池で、湿性植物の宝庫となっている。

  • 震動の滝

    落差83メートル、水量の多い時は周囲を震動させる。
    日本の滝百選に選定された竜神伝説の残る九州屈指の滝で、滝つぼ周辺には温泉が湧出しており、鍾乳洞もある。

  • 瀧廉太郎記念館

    瀧廉太郎が十二歳から十四歳までの二年半、多感な少年時代を過ごした家。

  • 岡城跡

    史跡岡城跡は、大野川の支流である稲葉川を北に、白滝川を南に臨む、標高325メートルの阿蘇溶結凝灰岩で形成された台地の上に築かれている。
    岡城は文治元年(1185)大野郡緒方荘の武将緒方三郎惟栄が、源頼朝と仲違いをしていた弟義経を迎えるため築城したと伝えられるが、惟栄は大持浦(兵庫県)を出航しようとして捕らえられ、翌年上野国(群馬県)沼田荘に流された。

  • 原尻の滝

    大分県の西南部豊後大野市緒方町の原尻の滝。
    大分のナイアガラ、日本の滝百選

  • 武家屋敷(大分竹田市)

    土塀が続く町並みが残る殿町の武家屋敷

  • 由布岳(豊後富士)

    1,584メートル
    古くから神の山と崇められ「豊後風土記」や「万葉集」にも登場する名峰である。
    頂上部は双耳の峰になってます。ミヤマキリシマや紅葉、霧氷と年中登山者の絶えることのない人気の山。

  • 原尻の滝チューリップフェスタ

    原尻の滝を中心に周辺は公園化されており藁葺き屋根の家と水車、吊り橋などがあります。
    毎年4月第1土曜日~第3日曜日まで道の駅そばでチューリップフェスタが開かれきれいなチューリップが咲きます。

  • 金鱗湖(由布院)

    『金鱗湖(きんりんこ)』の湖底には温泉と冷泉が湧き冬でも水温が高く、湯布院で霧が発生するのはこのためだそうです。
    湖の名は、小魚の鱗が陽の光でダイヤモンドがピカピカ、輝いているように見えるところから金鱗湖という。

  • 宇奈岐日女神社(六所宮)

    「宇奈岐日女(うなぎひめ)神社」といい、由布院は弥生以来の遺跡を持つ沼で、動物の「うなぎ」を沢沼の精霊としてまつったのが古来の祭神ではないかと言われている。

  • 仏山寺(ぶっさんじ)

    臨済宗。明治の神仏分離までは六所宮と一体となって栄えた古刹で、山門、本堂、庫裡がすべて古式ゆかしい雰囲気を保っている。本尊は由布岳の観音菩薩。
    寺伝によると康保年間(964~968)、聖空上人の開山といわれ、当初は天台宗で堂宇は由布岳の中腹にあった。
    江戸時代に臨済宗となって現地に移転した。
    全盛時には10ケ寺の末寺を有し湯布院を代表する中心的寺院であった。
    1994年の火災で本堂を焼失したが再建された。

  • 下ん湯

    泉質:単純泉
    69.4℃
    効能:神経痛、筋肉痛、関節痛、冷え性、疲労回復など
    料金:200円
    営業時間:10:00~21:00
    男女混浴

  • 千年杉

    国指定天然記念物 昭和九年八月九日指定
    根元周囲  13.3メートル
    胸高周囲  10.9メートル(地上1.5メートル)
    樹高    38.0メートル

    幹の裏側(南)には大きな空洞があり、なかは畳が三枚も敷けるほどの広さがある。

    この大杉は大分県下で最も大きな杉で 樹齢は千年以上と言われているが、確かなことは判っていない。

  • 民芸村

    由布院民芸村は、茅ぶき土蔵造りの建物に陶器・竹工芸品・民具などを展示されている。

  • 辻馬車

    定員10名
    9:00~16:00(30分おきに1日15便)
    料金 1,200円(駅発着の一周コース)
    所要時間 約50分
    12月~2月と雨天、馬の体調不良の時は運休
    コース
    由布院駅発 佛山寺  宇名岐日女神社  由布院駅着 (1周コース)
    問合せ先 
    由布院温泉観光案内所 電話0977-84-2446

  • 龍巻地獄

    龍巻地獄は天然記念物の「間歇泉」。
    50メートル以上噴き上げる力をもって熱湯が突然に噴き上がる。
    105度の熱水を、ほぼ25分間隔で休み5分間ゴーと噴き上げ、生きてる地球の自然の力を見せつけられる。

  • 興禅院

    建徳元年(1370年)に無著(むちゃく)禅師により開山したと言われる、曹洞宗の禅寺です。
    一時はキリスト教の教会も立てられていた時期があったそうです。
    しかし、キリシタン弾圧により、教会は取り壊され、禅寺が再建されたそうです。
    その名残でしょうか、境内にはマリア様像(観世音菩薩)があります。
    大分県耶馬渓の「青の洞門」をたった一人で造った、禅海和尚が得度し、修行を積まれたお寺でもある。

  • 明礬地獄

    別府八湯の中で一番標高の高い温泉です。
    硫黄の匂いが漂い、明礬採取のための藁葺屋根の湯の花小屋がありります。
    この湯の花小屋では江戸時代から続く手法で湯の花採取が行われていて、明礬地獄や明礬湯の里ではその様子を見学することが出来ます。

  • 坊主地獄

    園内に、延内寺という立派な寺があり、460年前に大地震があり、延内寺の床下から大爆発して、寺院は一瞬の間に吹き上げられ、その後地底深く姿を消してしまったという。
    園内20数ヶ所より噴き上がる熱泥が坊主頭に似ているのでいつの頃からか「坊主地獄」と言われるようになった。

  • 血の池地獄

    血の池地獄は日本で一番古い天然の地獄。
    地下の高温、高圧下で自然に化学反応を起こし生じた酸化鉄、酸化マグネシウム等を含んだ赤い熱泥が地層から噴出、堆積するため池一面が赤く染まる。
    温度は、78度C ハンカチを、染められる。
    池の土から、皮膚病に効く軟膏ができる。

  • 海地獄

    海地獄は今から約1200年前鶴見岳の爆発により出来た池が、海の色に見えるところから海地獄という。
    泉質は酸性でラジラム硫酸鉄を有し、温度は98度C。泉脈までの深さは200mと言われている。

  • 両子寺

    両子山の中腹に両子寺がある。
    六郷満山の中では中山本寺、山岳修行の根本道場に当たり、特に江戸期より六郷満山の総持院として全山を統括してきた。
    信仰として、特に子授けの祈願所、安産・厄除け・交通・家内安全・航海安全等各種祈願や幼没水子・先祖供養等の供養。

  • 富貴寺

    国宝 大堂は西国唯一の阿弥陀堂で九州最古の和様建築物です。

  • 宇佐神宮

    宇佐神宮は豊後一ノ宮。
    宇佐八幡宮ともよばれる。
    全国の約4万600社が八幡宮であるが宇佐神宮はその総社である。
    応神天皇、比売大神、神功皇后を祭神とする。

  • 真木大堂

    奈良時代に創建されたと伝えられる六郷満山のお寺。
    真木大堂には、かつて栄えていた伝乗寺各寺坊の御本尊がある。

  • 青の洞門

    大正8年(1919年)、菊池寛の発表した「恩讐の彼方に」の舞台として、一躍有名になった。
    山国川本流に沿う樋田とのあいだは、競秀峰(きょうしゅうほう)の断崖がつらなり、鎖渡の難所といわれていた。
    享保のころ当地へきた禅海が、道を見て衝撃をうけ、仏者として大誓願をおこし洞門開削工事に取り掛かり、寛延3年(1750年)を中心に約30年 の歳月をかけて完成したもので、削道の長さは約344m、うち隧道部分の延長が約144mである。
    但し、現在の洞門は、当時からは大きく変化しており、明治40年には、ほぼ現在の洞門に近い形状で大改修が行われて、旧道は、明り採り窓や、洞門の一部を残すのみである。

湯布院 ステンドグラス館

  
 

宮崎県高千穂 日向 西都原 宮崎市内 日南海岸

  • 高千穂峡

    五ヶ瀬川が、阿蘇溶岩を浸食して生まれた、V字型の柱状節理の渓谷
    真名井の滝は日本の滝100選 ボートに乗れます。
    【年中無休】
    増水時には運休
    【受付時間】
    午前8:30~午後4:30(夏休み期間は午前7:30~午後5:30)
    【利用料金】
    1艘(定員3人、乳幼児も含む)30分1,500円

  • 天の岩戸神社

    天照大神(大日?尊)を祀る神社で、岩戸川断崖の中腹に弟素差男命の乱暴に怒り天照大神がお隠れになった天岩戸の洞窟があります。
    上流には、天照大神が天岩戸にこもられたとき、八百万の神々が集い神議ををされたという天安河原がある。

  • 天の岩戸神社 東本宮

    御祭神は西本宮が大日?尊であるのに対し、天照大神です。

  • 玉垂れの滝(たまたれのたき)

    岩と岩の間から湧き水
    水道の水源です。

  • 真名井

    天然の湧水がわき、天孫降臨の際、この地に水が無かった為、天村雲命が天上より水種をこの地に移されたとされるところ。

  • 高天原遙拝所

    天孫降臨後に神々がこの丘に集い、天上の高天原を遙拝したと伝えられている。

  • 夜神楽

    高千穂の夜神楽は、「高千穂の夜神楽」として国の重要無形民俗文化財に指定され、天照大神が天岩戸にお隠れになったおり、岩戸の前で、あめのうずめの命が舞ったのが始まりと伝えられるものです。
    秋の実りへの感謝と翌年の豊穣を祈願し、11月の末から2月上旬にかけて三十三番が神楽宿で奉納される。

  • 馬ヶ背

    「馬ヶ背」は日向灘(太平洋)に突き出た柱状節理の上に立つ小さな岬、岩肌の色が馬の背の栗色をしていることや、馬の背のように狭い岩場であることから「馬ヶ背」と呼ばれるようになった。

  • 願いが叶うクルスの海

    この”クルスの海”は、訪れると願いが叶うという不思議な言い伝えがあり展望台からみえる”クルスの海”は、その岩の形状が”叶う”という文字に見えるところからきている。

  • 宮崎神宮

    旧官幣大社。
    神武天皇を祭神とし、左の相殿に父ウガヤフキアエズノミコト、右の相殿に母タマヨリヒメをおまつりしてあります。
    狭野杉で造営された流れ造りの清楚な社殿です。

  • 平和台公園

    標高60mの丘に広がる平和台公園内には、皇紀2600年の記念事業として、昭和14年(1939)5月20日着工し昭和15年11月15日竣工した高さ37mの平和の塔があります。
    基部面積は1,023㎡。設計は日名子実三氏です。
    園内には古墳を型どった盛土の上に、日本各地から発掘された埴輪、土器土偶などの複製品が、約400基配置され、古代ムードをかもしだしています。

  • 鬼の窟(いわや)西都原古墳群

    コノハナサクヤ姫を嫁にと請う悪鬼が父神の大山祇命より一夜で石造りの館を所望し完成させた窟。

  • 市民の森

    「市民の森」は、37haの広い敷地に、宮崎の海岸にかって広く分布していた黒松林と宮崎の山を代表する照葉樹の雑木林によって構成されている。
    宮崎市の東に位置する一ツ葉海岸にあり、市街地から近く、シーガイア・フローランテ宮崎・フェニックス自然動物園・宮崎臨海公園などに隣接し、現在はリゾートの中心となっている。

  • 青島神社

    島の中央にある青島神社は ひこほほでみのみこと(山幸彦)、后の豊玉姫命、塩椎神(塩椎老翁)を祀る神社。
    ひこほほでみのみことは山幸彦として親しまれており、「海幸彦 山幸彦」の神話はここ青島海岸です。
    縁結・安産・航海・交通安全の神様。

  • 宮崎のひよっとこ踊り

    ホテルなどで夜見ることができます。

  • 青島

    青島は古くは淡島・歯孕の浮島とも称される周囲1.5kmほどの小さな島です。
    この島の植物はビロー樹をはじめとする種子植物の自生および栽培品併せて74科174種2亜種5品種計209種、これに洋歯植物17種を加えて高等植物総計226種が島内にある。

  • 堀切峠

    山桜の坂道をのぼると、突然視界がひらけ、太平洋が広がります。
    沿道にはフェニックスの並木が続き、浜ゆう、ブーゲンビリヤなど南国の花がります。
    下には一面の波状岩がみえる。
    日南海岸の雄大な景観が展望できる。

  • サンメッセ日南(モアイ像)

    宮崎県日南市「サンメッセ日南」のモアイ像、海沿いにある7体のモアイ像は、チリの方を向いている。
    モアイの「モ」は未来、「アイ」は生きる、すなわち「未来に生きる」という意味との事。

    面白い像がありました。

  • 飫肥城

    飫肥(おび)は、明治初年まで280年間続いた伊東氏5万1000石の城下。

  • 飫肥城下町

    九州の小京都と呼ばれています。
    城下町らしく飫肥には武家屋敷と商人町の町並みが残っています。
    錦鯉の泳ぐ水路があります。
    風情があります。

  • 幸島

    ある日1匹のさるが海水でいもを洗い始めます。
    それを見たさるがまねをして、いもを海水で洗い始めます。
    1匹 2匹 3匹…と
    広がり始め、100匹めのサルになった時、全国にいもを洗う行動が爆発的に広がった!という現象です。

  • 鵜戸神宮

    山幸彦(彦火火出見尊)が、兄(海幸彦)の釣り針を探しに海宮(龍宮)に赴かれ、海神のむすめ豊玉姫命と深い契りを結ばれた。
    山幸彦が海宮から帰られた後、身重になられていた豊玉姫命は「天孫の御子を海原で生むことは出来ない」とこの鵜戸の地に参られた。
    霊窟に急いで産殿を造っていたが、屋根の鵜の羽の茅も葺き合わぬうちに御子(御祭神)はご誕生になった。
    故に、御名を「ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと」と申し上げた。

  • 運玉占い(鵜戸神宮)

    鵜戸神宮前に、大きな岩の亀がいる。
    背中に穴があり、そこに運玉の素焼きの約2cmの玉を、男性は左手女性は右手で祈りを込めて投げ入れる。
    見事入れば、願いがかなうと言われている。

  • お乳岩(おちちいわ)

    鵜戸神宮裏に母君の豊玉姫が御子の育児のため、両乳房をご神窟にくっつけて行かれたと伝える「おちちいわ」は、いまもなお絶え間なく玉のような岩しみずを滴らせて、安産・育児を願う人々の信仰の拠り所となっている。

  • 都井岬灯台

    都井岬灯台は、かつて日本三大難所といわれた都井岬沖の海運の安全確保のために昭和4年に建てられた南端海抜255mにそびえ立ち、130万カンデラの光度を誇る白い灯台です。
    北緯31度22分03秒 東経131度20分45秒
    塗色構造 白色 塔型
    灯質 単閃白光 毎15秒にい閃光
    光度 97万カンデラ  光達距離 25.5海里
    高さ
    地上から灯火まで 10m
    水面から灯火まで255m
    初点灯 昭和4年12月22日
    灯台の見学料金 150円/大人(2003年)

  • 亀岩(鵜戸神宮前)

    御本殿前の海に浮かぶ亀岩(豊玉姫が竜宮から乗ってきたと言われる)の背中に運玉を投げ、見事にとどまると願いごとが叶うという伝えがある。

  • 都井岬観光ホテル

    蘇鉄がホテル前にあり、展望も素晴らしい。

  • 野生馬(御崎馬)

    都井岬は宮崎県の最南端に位置し、日南海岸公園の中にあります。
    約5000ヘクタールの敷地内に約120頭の野生馬が生息している。
    都井岬の御崎馬は日本在来馬とも言われ、今から約2000年も前の縄文時代後期から弥生時代中期にかけて中国大陸から導入された馬が、その起源とされる。

  • 生駒高原

    標高540m、霧島連山が背に広がる生駒高原は、雄大なお花畑。12万平方メートルの敷地に、春には菜の花が咲き誇り、さらに色とりどりのアイスランドポピーが一面をいろどります。
    そして秋になると、100万本のコスモスが咲く。
    夷守岳(ひなもりだけ)が見える、生駒富士と呼ばれている。

  • 七折れの滝

    道路よりみえます。 少しスピードおとします。

  • えびの高原の不動池

    水深は9m、直径約200mのこの池は常に美しいコバルトブルーです。 
    これは火山の影響により水の酸性度が強く、そのためプランクトンが少ないことで透明度がよいことと、適度な深さによるためといわれている。

  • えびの高原

    霧島連山に囲まれた標高1200mの高原。
    春のミヤマキリシマ、夏の草木の緑、秋のススキと紅葉、冬の樹氷と四季折々の自然がすばらしい。
    ススキは毎年8月下旬になるといっせいに「えびね色」にかわり、赤いジュウタンを敷き詰めたようになり、とても美しい。
    これは噴出する硫気により変色するためで、ここ”えびの”の地名もススキが一面のえびね色の野になることから付けられたものと言われている。

  • 賽の原

    地獄ですが、今は煙がでない休み状態。

  • えびの高原のしか

    霧島系の鹿は、4000頭とも言われる。
    お菓子あげないで、とのこと。

 

鹿児島県

  • 霧島神宮

    霧島神宮は、天孫降臨 迩迩芸命(ニニギノミコト)を祀るお社です。
    霧島神宮は創建が6世紀という古い歴史を誇る神社です。
    最初は高千穂峰山頂にありましたが、霧島山の噴火によりたびたび火災にあい、次にその西の中腹、そして高千穂河原へ移り、1484年に今の場所へ移って来た。現在の社殿は江戸中期1715年(正徳五年)、第21代藩主島津吉貴公により造営寄進されたもの。
    霧島神宮の境内には樹齢七百年の老杉が生い茂り、神代の気高さを今に伝えている。

  • 霧島温泉郷(丸尾温泉)

    霧島山の懐から湧き出る霧島温泉郷は大小8つの温泉で、いずれも標高600mから850mの間に位置し泉質は、あらゆる症状に効果があります。

  • 高千穂河原

    高千穂河原は標高970mで、霧島連山の南の入口として知られています。
    高千穂峰、中岳、新燃岳の登山基地となっており、シーズン中は多くの登山客やハイカーで賑わいます。
    また、かつての霧島神宮の所在地であり、古宮址として現存している。

  • 丸尾の滝

    高さ23m、幅16mある青みがかった滝は、温泉が流れる滝である。

  • 桜島

    桜島(さくらじま)は、鹿児島県の錦江湾にある東西約12km、南北約10km、周囲約55km、面積約77km2の半島であり大隅半島と接続している。
    御岳(おんたけ)と呼ばれる活火山によって形成され、頻繁に噴火を繰り返してきた歴史を持つ。
    北岳(標高1117m)
    桜島の最高峰。
    山頂に直径約500mの火口があり雨が降ると池ができることもある。
    北東斜面に安永大噴火の火口がある。
    中岳(標高1060m)
    北岳から約900m南に位置する。
    南岳の寄生 火山の一つである。
    南岳(標高1040m)
    中岳から約500m南に位置する。
    山頂に直径約700mの火口があり、その内側に二つの小火口(A火口とB火口)がある。
    また南斜面に安永大噴火の火口、東斜面に昭和噴火の火口がある。
    山頂火口は1955年(昭和30年)以降活発な噴火活動を続けている。

  • 桜島港(桜島フェリー)

    鹿児島港と桜島港をわずか15分で結ぶ。
    安全・快適 24時間運航 桜島フェリー

  • 福山黒酢

    鹿児島福山黒酢の歴史は、江戸時代後期の1800年
    江戸の藩政時代から、重要な商業地であった福山町は黒酢の原料となる良質な米ときれいな湧き水、そして温暖な気候に恵まれており、黒酢造りには最適で、この環境に着目した商人竹之下松兵衛により黒酢造りが始められたとされていますが、別説では山川(鹿児島県揖宿郡)や日置(鹿児島県日置郡)の杜氏が伝えたとも中国大陸から伝わったとも言われています。
    それから200年経ちましたが、今なお、ここ福山町では当時と変わらぬ製法で引き継がれています。

  • くろず情報館 「壺畑」

  • 酢壷(アマゾン壷)

    鹿児島の福山黒酢は別名「壷酢(壺酢)」」とも呼ばれています。
    この由来は福山町独特の製法にあります。
    壷酢造りに用いられる容器は『アマン壷』と呼ばれる陶器製の壷。その壷に杜氏が玄米、麹菌、水を仕込んでからは、壷は屋外に置かれ、放置されます。
    そして、壷は昼間は南国鹿児島の強い太陽光に照らされ、夜は鹿児島錦江湾からの冷たい海風にさらされ、その中で1年以上かけて自然にじっくりと糖化、アルコール発酵、酢酸発酵までが行われるのです。

  • 池田湖

    池田湖は、約5500年前の開聞岳の噴火とともに池田火山の陥没によってできたカルデラ湖。
    周囲15km、水深233m
    九州最大の大きさと日本で2番目の透明度を誇る湖。

  • 指宿温泉

    特に砂むし温泉を、おすすめです。

 

福岡県

  • 大宰府天満宮

    学問の神・菅原道真をまつる。901年右大臣から突然大宰府の役人におとされた道真は2年後、この地で亡くなった。
    その墓の上に建てられたのが天満宮で、現在の本殿(重要文化財)は1591年(天正19年)の建築である。

  • 観世音寺

    『源氏物語』にも登場する観世音寺は、斉明天皇追悼のために天智天皇の発願によって建てられた寺である。
    完成は奈良時代。
    古くは九州の寺院の中心的存在で、たくさんのお堂が立ちならんでいたが、現在は江戸時代初めに再建された講堂と金堂(県指定文化財)の二堂があるのみである。

  • 戒壇院

    奈良時代、観世音寺に戒壇院が置かれた。
    戒壇とは僧尼として守るべき戒律をさずける所で、ここで戒を受けなければ正式の僧尼とは認められなかった。
    戒壇はここの他に、奈良の東大寺、下野(栃木県)の薬師寺に置かれ、天下三戒壇といわれた。
    本尊の舎那仏は平安時代末の作で、重要文化財である。江戸時代に観世音寺を離れ、現在は禅寺である。

  • 九州国立博物館

    九州国立博物館は、東京・京都・奈良に次ぐ、4番目に設立された国立博物館であると同時に、他の3館とは異なる、「日本文化の形成をアジア史的観点から捉える」というコンセプトを持っている。
    1Fあじっぱは子供たちにアジアの多様な文化を楽しく体験してもらう体験エリア。
    3F特別展示室は国内外のよりすぐりの作品を集めた展覧会を開催。
    4F文化交流展示室は「海の道、アジアの路」をテーマに、日本文化がどのようにアジアと関わって形成されてきたのか、個性的であり続けたのか、約800件の展示品を通して紹介する。

  • 柳川川下り(どんこ舟)

    柳川の川下り観光は柳川観光開発株式会社
    が昭和36年(1961年)に創業いたしました。
    川下り観光の発祥となった現在の松月乗船場は、詩集「思ひ出」にもうたわれた北原白秋ゆかりの地す。

  • 北原白秋生家

    白秋生家は、明治34年の大火で大部分が焼けてしまいましたが、昭和44年に県文化財史跡の指定を受け残った母屋を復元。
    現在では、白秋の遺品や原稿などを展示し、一般に公開されています。
    その奥には、昭和62年、生誕百年を記念して建てられた「柳川市立歴史民俗資料館(白秋記念館)」があります。

  • さげもん

    さげもん”とは、旧柳川藩時代に女の子が生まれた時、親戚、知人から贈られた着物のはぎれで、この子が一生幸せでありますようにと祈りを込めて、縁起のよい「鶴」「兎」「宝袋」「三番鼠」「這い人形」など一針一針縫い上げた手作りの布細工と鮮やかな七色の糸で巻いた柳川地方伝統の大まりを下げ輪の中央に、小まりと縫いぐるみを交互に下げ輪につりさげたもの。

  • 御花(おはな)

    その昔、柳川藩主立花家の別邸であった御花。
    邸内には国宝級の歴代藩主の遺品が陳列されています。
    さらに冬になると、松島を模した松濤園に野鴨が飛来ます。

 

佐賀県

  • 唐津城

    唐津城は、寺沢広高によって7年の歳月を掛け築城された。
    明治の廃藩置県によって廃城となったが、昭和41年(1966)に現在のものとして復元されている。
    天守閣を鶴の頭に見立て左右に広がる松原が、鶴が翼を広げた形に似ていることから別名・舞鶴城ともいわれている。

  • 虹の松原

    虹の松原は、幅400~700m、長さ約4km、総面積約240haにわたる、通称100万本のクロマツを中心とした松林です。
    今からおよそ360年前の江戸時代初期に、時の藩主寺沢志摩守廣高が後背地の新田開発などのための防風、防砂、防潮林として植林をしたのが始まりといわれています。
    幕藩時代には、「二里の松原」「御松原」と呼ばれていましたが明治30年代頃から「虹の松原」と呼ばれるようになりました。
    昭和30年に「特別名勝」に指定されています。また、昭和58年「日本の自然百選」「日本の名勝百選」となり、昭和62年には「日本の道百選」にも選ばれています。

 

長崎県

  • 平和記念像

    世界平和への願いを込めてつくられた公園。ここには長崎市民の平和への願いを象徴する高さ9.7メートルの平和祈念像が立つ。
    制作者の長崎出身の彫刻家北村西望氏はこの像を神の愛と仏の慈悲を象徴とし、天を指した右手は“原爆の脅威”を、水平に伸ばした左手は“平和”を、軽く閉じた瞼は“原爆犠牲者の冥福を祈る”という想いを込めた。
    毎年8月9日の原爆の日にはこの像の前で平和祈念式典がとり行なわれ、全世界に向けた平和宣言がなされる。

  • 浦上天主堂

    大正15年に天主堂が完成、赤レンガ造りのロマネスク式の教会は当時東洋一と言われていましたが、昭和20年の原爆で8500人の信者とともに失われてしまいました。
    現在の天主堂は昭和34年、往時のものと同じロマネスク式で再建されたもので、天主堂に上る道の両側には原爆で焼かれた天使像が並んでいる。

  • 永井隆記念館
    (如己堂)(にょこどう)

    原爆の犠牲となりながらも、原子医学の研究を続け平和を訴えた永井隆博士を顕彰する記念館。
    博士の書、絵等多数展示。 如己堂とは、「己の如く隣人を愛せよ」という聖書の言葉が由来。
    明治41年(1908)、父永井寛、母ツネの長男として島根県松江市に生まれた。生誕100年を迎え記念行事がある。

  • 如己堂(にょこどう)

    2畳ひと間の家は昭和23年浦上の隣人から贈られた。
    永井隆博士は、”己(おのれ)の如(ごと)く人を愛せよ。”
    というキリストの言葉を口にし実行する人でした。
    ここから、如己堂(にょこどう)と名づけた。
    昭和26年5月1日、43歳の生涯をとじた。
    書斎、病室としてここに住んでいた。

  • 26聖人記念碑(西坂公園)

    慶長元年(1597)2月5日日本の信仰の初穂と称えられた二十六聖人が、西坂の丘で殉教し、文久2年(1862)6月8日教皇ピオ九世によって列聖された。
    昭和37年(1962)6月10日列聖百周年を記念して、西坂の丘に二十六聖人記念館が建てられた。

  • 大浦天主堂(日本26聖人殉教者天主堂)

    慶応元年(1865)に創建された大浦天主堂の正式名は「日本二十六聖殉教者天主堂」。
    パリ外国宣教会が派遣したプチジャン、フィーレのフランス人両神父によって西坂の丘で殉教していった26聖人へ祈りを捧げるために建てられた教会堂だ。そのため、その正面は西坂の丘に向けられ建てられている。
    ゴシック調の教会で、現存する木造教会では日本最古のもの。
    昭和8年(1933)に国宝に指定された。

  • 眼鏡橋

    国指定重要文化財(昭和35年2月9日指定) 
    中島川の第10橋。わが国最古の石造りアーチ橋で、寛永11年(1634)興福寺・唐僧黙子禅師(とうそうもくしぜんし)によって架設された。
    黙子禅師は中国江西省建昌府建昌県の人で、寛永9年(1632)に日本に渡来したが、石橋を架ける技術指導者でもあったようである。
    しかし、この眼鏡橋は、正保4年(1647)6月の洪水で損害を受け、慶安元年(1648)平戸好夢によって修復がなされた。
    川面に映るその姿から、古来より”めがね橋”の名で長崎の人たちに親しまれていたが、明治15年に正式に眼鏡橋と命名された。
    橋の長さ22m、橋の幅3.65m、橋の高さ5.46m

  • 三浦環の像

    蝶々夫人は、アメリカ海軍中尉(B・F・ピンカートン)と、日本の長崎で結婚。
    子供もうまれたが、夫は、アメリカに帰るが、夫が去ってからもただひたすら信じて帰りを待った元士族の娘、15歳の少女・蝶々さん(蝶々夫人)は、3年後に裏切られたことを知る。
    自分と夫・ピンカートンとの間に生まれた子どもの未来を夫とアメリカ人の本妻に託し自らの誇りを守るために自殺するという典型的な悲劇。
    オペラ「マダム・バタフライ」の舞台となった長崎。
    ゆかりの地としてヒロイン蝶々夫人を何度も演じ、この悲恋物語を世界的に有名にした日本人オペラ歌手・三浦環の記念像が建てられている。

  • グラバー園(明治村)

    グラバー、 イギリスの貿易商が建てた屋敷と庭園。国指定重要文化財・現存する日本最古の木造洋館。

  • 孔子廟(中国歴代博物館)

    北京故宮博物院や中国国家博物館と提携している世界で唯一の常設博物館です。
    中国国外ではここでしかみることができない故宮の宮廷文物や中国歴代の美術品を常設展示。
    中国国家博物館では中国の歴史の遺品を年代・王朝別にわかりやすく展示公開。

  • 雲仙(平成新山)

    普賢岳1359.3m・平成新山1486m 
    雲仙は昭和2年に日本新八景山岳の部で1位になり、昭和9年にはわが国で最初の国立公園に指定された。

  • 雲仙地獄

    雲仙地獄はキリシタン殉教の舞台となったところ。
    大叫喚、お糸、清七など30あまりの地獄があり、噴気孔から真っ白い水蒸気がもくもくと噴き上がっている。

  • 島原武家屋(山本邸)

    ここは、鉄砲町ともいい、鉄砲組(徒士)の住居地帯であったことと、造成当時隣家との間に塀がなく、まるで鉄砲の筒の中を覗くように武家屋敷街が見通せたので、その名がつけられたと言われている。
    7つの町筋は碁盤の目のようにできており、ここには扶持(ふち)取り70石以下の徒士(かち)屋敷が690戸あった。

  • 武家屋敷の水路

    町筋の中央に流れる清水は、北西の「熊野神社」を水源とし、飲料水として使われ、水奉行を置き、厳重に管理されていた。
    現在、保存されている下の丁の武家屋敷は、延長406.8メートル、幅長5.6メートルの町並みで、山本邸、篠塚邸、鳥田邸の3軒が一般に無料開放され、当時の武家生活の様子が偲ばれる。

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